あかねのすきなかくこと。

毎日にこにこ、一歩ずつ進歩が目標の、日々のこと。

出口で止める

最近あんまりうまくいってなくて

仕事もミスばかりで
そのどれもが私が気づいていれば止められた案件だったりして


あー私迷惑を増やしてしまっているな、と思うことが多くなった。


2年目になって、
知らないことが減ってきて
多少なりとも自分に自信が出てきて

確かに少し一丁前に自分を過信する部分があると思う


小さなことを疑問に思ったり

私って合ってるのだろうか、これでいいのかと確かめるプロセスを吹っ飛ばしている


きっとこうだろう
きっと大丈夫だろう
そんな根拠のない自信から、
あえて吊り橋の上を無意識に渡ってしまうような仕事をしている気がする


ううん、しているなー。




結果的に、やはり間違っていたり
気にしていたところが引っかかったりして

あーあのとき確かめておけばよかった、と


あとから振り返る事が増えた。




よくない。

全く良くない。



出口で止めて質を上げるのが私の仕事なのに
私が適当に仕事をこなしていたら

それまで入り口から頑張ってきた人たちに迷惑を掛けることになる

その想像が欠けているから、どうしても自分本位担って適当にこなしてしまうんだろう



余裕がなくて
次の仕事のことを考えながら、今の業務をするから
こうなってしまうんだろう




今目の前の仕事を全力で取り組まないと
結局どんな仕事も中途半端で終わって、

その始末は色んな人を巻き込んでしまう。



自分が今何をしているのか
気になるところ、疑問に思うところはないか
なあなあな雰囲気に巻き込まれて、目を瞑ってしまっていることはないか


自分が自信を持って完結させましたと言える仕事をしているか

あとから埃が出てくるまま手を放していないか

時間がいくらかかってもいいから、
この初心に通ずることは何年たっても忘れてはいけないし
続けていくべき心がけだと痛感している



仕事をしている自分が好きなのに

職場にいるとため息ばかりで
勝手に自分を不幸にしている気がする







今日から。

今日から、毎日新人の気持ちで
常に新鮮な目で周りを見ていくようにしよう


自分がやっていることに過信せず
私はこれで大丈夫だろうかと何度も疑問に持とう


その繰り返しなのだ

急にベテランになったりプロになんかなれないから
毎日の積み重ねを確実に一歩ずつ続けていくのみなのだ




それに気付けてよかった

何もかも自分の責任ではないけど
何もかも自分の責任である、くらいの気持ちで

その先のことを見据えた仕事をしていこう

正しいことは正しいと
間違っていることは間違っていると、
それを言えるような自分でいたい。



下手な空気を読むのはやめよう。

仕事を進めていく上で、誰のために必要なことなのかを明確に据えておこう


省いていいことなんてない
1つ1つ確認して、終わらせることを優先にせず過程を大事にしていこう




忘れないように、記録。


めもめも。

未熟すぎること


最近自分らしくいようと思えば思う程

なんだか嫌みたらしくなって

どこかタカビーになって


余計自分に疲れてしまうことが多かった。





そしてそんなに偉そうに言うのに

出来てないことはたくさんあって



その負の反比例にまた疲れてしまう






自分はこうありたいのに

なぜだかうまく出来なくて



はあちゅうさんの言葉を借りると

私が完璧じゃないのを一番私が知っているということ



友達は同い年なのに
しっかり貯金もしていて
結婚をするこだっていて



私はなにをやってんだろう、理想論ばかりじゃないかと

頭の中が負のスパイラルに陥る時期だ。







だいじょうぶ。

言い聞かせるしか無いし


今の自分にやれることを全うするしかないんだけれども



先の見えないプレッシャーとストレスに

本当に心が折れてしまいそうになる。




自然のなかに寝そべって

なにもかもいっかい置いて


頭を真っ白にしたいなあなんてぼんやり思うけど

それは逃げでしょうか。






腐らないで

しっかりと口角あげて、しっかりと見直せば


また元気いっぱいの日常に戻れるよね。

少しくたびれ気味。


東京の人波と、時間に流されて



心が少しくたびれ気味です。





先々週までは南の島で、

大自然を目の前に、生きていることを身体と心で実感していたのに



今は心ここに在らずで

やらなくてはいけないこと
やってはいけないこと

少し目を背けながら
ただ時間に流されて、1日が終わっていく感じです…





嫌すぎるよー。







こういうときは一人の時間をたっぷり取って

紙に今の気持ちを書き出すの。



頭と心で自分のことを整理して

ひとつひとつ、チェックをしていく。





たっぷり睡眠をとって


たっぷり気持ちに栄養をあげるの。




そして太陽の光をいっぱい浴びて
夕焼けを前に本を読む。



やりたいことリストを可視化して
わかりやすい目標を立てよう。





大丈夫。
私は私らしくゆっくり進んでいければと思うし

人に優しく
穏やかな気持ちで
口角を上げて
前向きな気持ちを持っていう。





笑顔は前進させてくれる最大のエネルギー。



今日もいい一日になりますように。

ゆめ。

私のやりたいことをただ羅列するだけの記事。



・私が考えていること、知ってほしいことを発信する場を設ける。

ただ今のこのブログもそうだけど
私自身の備忘録として書くものを、他の見知らぬ誰かが目にして

笑ってくれたり、心をあったかくしてくれたり、
そういう些細なことで良いから、一瞬でも頭の中に私の思考というものを入れてもらえるような
そんな素敵な場所を作りたい。

何者かになりたいだけなのかもしれないけど

けど今までやりたいことのなかったぐうたらな私にとって

こんな見通しも立っていないぼんやりとした夢でも
心の中にゆらゆらとあるだけで

見えるものが全然変わってくるもの。

やっと見つけたこの大事な夢をいつか、小さくても良いから
叶えられたら良いなあ。


・世界一周をする

世界一周と言わず、何週でも、どんな向きでも
多くの国に行って、

今まで誰かの移した映像越しに見ていたものを

しっかりと自分の目で見て、心で感じて、頭でしっかりと考えたい。


治安が悪いとか
食べ物がおいしくないとか

そいういうことも全部ひっくるめて、
ちゃんと自分で判断したい。

せっかく五体満足生まれてきて、
こうして、何も不自由無く暮らしてきて

どうして私がこの生活ができる使命にあるのか

そしたら私は狭い世界に生きていくべきではないんではないかって
自分を無駄遣いしたくないっていうただそれだけの理由だけど

もっと世界に目を向けたい。

自分で見ないといけないものって、たくさん溢れている。



被災地に行く。

東日本大震災のとき、衝撃をリアルタイムで目にしたのに
未だにそれを忘れることなんて出来ずに
当時の状況を昨日のように感じるのに

それを5年間ずっと放置して

目の前のことしか見ずに

ニュースのみで流れるようにしか理解せずに

ほんとうのこと、
当時のこと、
今のこと

それらを今まで知らずにいたのは
ある意味幸せで
そして最低に愚かなことだったと気付いた。


私は自分の目で見ないといけないことがたくさんある。

大事なことを知らなすぎる。




・朝を大事にする。


朝、走る。
朝、読書をする。

朝、ものを書く。


そういう朝にシフトを変えて
一日を整理してから始める。


やりたくてわかっているけど、これがなかなか。

まだまだ自分にだいぶ甘い。


朝5:30に起きてゆったり過ごそう。



・自分を最大限に喜ばしてあげる

美味しいものを食べる

見たことも無い景色をみる


本を読む。



会ったことの無い人と会う

身体を動かす。

価値観を広げるということ。
人生の幅を大きくするということ。


自分が最大に幸せで充実を感じていたら
周りの人にも自動的に幸せや笑顔を与えられる人間になる。


選択肢が複数あるとき、

「自分を好きで居られること」
「それに幸せを感じられること」
「何がいちばん大事か」

これを基準に、常に正しい選択をしたい。

正しい選択っていうと、教科書通りで冒険のないように感じるかも知れないけど
そうではなくて

失敗してもいいから、「やってよかった」と感じられる選択をする。
後悔だけはしない選択をする。


まあ、答えが分かっている選択をする以外は
だいたい意味のあることで

この世に意味の無い事象なんてないという考えな私だからなのかもだけど。






・常にポジティブ、笑顔、前向きで居る。

これは今はまだ訓練中。

つい愚痴を言ってしまったり不安を抱いてしまったり

ちょっとさぼったりしてしまうけど


その度に「あ、だめだなあ」と軌道修正出来る自分でいたい。

そして最終的には能動的にそして自発的に
マイナス要素の無い中身の自分でありたい。


だいたい悲観的なことを言っている時の顔って
(重大な悩みや恋の相談は抜きにして)
あんまり可愛くないから
客観的に自分を見れるようにしておこう。














私、サイコーじゃん!って思える自分になれる訓練中。

今の段階は、サイコーになりかけてるじゃん!ってとこかな。

ほんとうに、たいせつなこと。



屋久島の旅行記はおいおい書いていきたい。

とりあえず絶対に残したかったことだけ取り急ぎ。



屋久島に一人で行って、多くのことを感じた。

でも屋久島に行ってなにか明確なものを見つけないとと思って
必死にいろいろぐるぐる考えてたけど
東京に帰ってきた瞬間、ひとつわかったものがあった。




屋久島は、人工物が少ない。
自然に与えられたものを最大限に活かして、生活している。
白谷雲水峡も、縄文杉も、奥岳も。

少ないお店と、ローカルな居酒屋などが点在してるだけで
日中は海と山々が、心を健やかに柔らかくしてくれて
夜は満天の星が、誰をも童心に帰らせて感動をくれる。

自然と人間が、配慮をしながらきちんと共存していて、バランスが出来ている。
常にゆったりとした時間が流れていて、運転手さんがバスを走らせば、道を歩く知り合いにクラクションで挨拶をする。
カフェでは、マスターとお客さんが、やあ久しぶり、元気だったかという会話から始まる。

会いたいときには会えて、
知り合いではなくても何故か気まずい空気や全く関係ないという雰囲気はない。


けれど、きっと出会うひとびとは限られていて、
普段すぐに手に入るものも空輸か運輸で時間が要る。






東京にはたくさんのタイミングやチャンスがあると思う。

手に入るものもたくさんあるし、不自由とはかけ離れた場所だ。
人々は洗練されて、みんな欲望を隠しきれずにギラギラとして、いつも何かに急がされている。

そのおかげで自然がある場所といえば思いつくところ、公園などで、それも隅々まで人の手が行き届いている。
薄目でもこれが大自然だ、とは言えない。

人々はいつもなにかに枯渇していて、誰かと繋がりあいたがったり、そのわりにはすぐ目の前の他人には無関心だ。

けど、東京には夜にとても綺麗な人工の光がロマンチックに光るし、
困れば家にいてもすぐに、又は次の日になんでも手に入る。

どこにでも行けるし、なんでも食べられる。行動さえすれば、経験が半径5メートルのうちにすぐ培える。



どちらがいいのだろう。
これにはきっと、正解はない。




けれど、ひとつだけ分かったのは、本来人間が必要なものは至ってシンプルだということ。
そのシンプルなもので充分事足りるということ。

選択肢が多いと、ひとつに絞るのが難しくなる。もっと、もっとと欲深くなり、それが満たされることはきっとない。



本当に大事で大切なものって、昔から変わらない。

いただきます、ご馳走さまと、身体にいいものを味わいながら、食べさせていただいていることに感謝をする。

会いたい人にはスマホの中で済ませるのではなく、直接顔を見に行く。

テレビで得られる娯楽はきっと自分で探せる。

高いものを買わなくとも、身だしなみは綺麗に整えられる。

文字はそのときの気持ちを表すから、手紙を書く。

常に感謝と謙虚な気持ちを持って、接する人びとに丁寧な気持ちを持つ。

そういう中で、本質的に上質な時間やものを、自分や誰かに与える。



それをみんな小さい頃からわかってるはずなのに、余計なものに溢れてしまってるもんだから、何故かたまに忘れちゃう。


忘れたまま、それが普通になってしまって、いつの間にか心や頭の中から無くなってしまう。





時間にいつも追われていて
人の中身より肩書きや収入を気にして
自分のことさえも見失いがちだ。


世間は女子力、婚活、ネオヒルズ族となんでも名前をつけて
無理にでも優劣をつけたがる。


早く結婚すれば勝ちなのか。
年収1000万以上だと成功なのか。

そもそも勝ちとか成功ってなんだろう。
誰がそれを気にしているんだろう。



誰に認めてもらえれば、正解なのか。
それにゴールはあるのか。







本当に大切なものは至ってシンプル。
それもみんな絶対持っているもの。
それだけでもう充分、充分なのに。


けど、たまにそれらを忘れちゃうから、
そういうときに優しく自分を引き戻してあげられるような、

そして心に余白と余裕を持って、
自分と周りを慈しみ、大切に扱い、
常に何が重要なのかを考えられる人でいつづけたいと思った。



そんな大したことではないかもしれないけど
充分大したことで、とっても大事なことを
この旅で気づかせられた。





自分を大事にしないと、相手も大事にできないと思うから。
そして私は常に周りの人を明るく良い気持ちにさせられるような女性でいたいから。
これからも定期的に自分を大事にする、一人の時間を作っていこうと決めた。